岩崎書店のブログ

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部活動で共に育つ!チーム習志野がマーチングで史上初の快挙を成し遂げた理由<前編>

中・高生を中心に人気ある部活動のひとつ、吹奏楽。今年も数々のコンクールに向けて、本格的な練習に取り組んでいる学校も多いでしょう。今回は、昨年度の全日本マーチングコンテスト*1で小・中・高と合わせて4校が全国大会に進出、金賞を受賞した千葉県・習志野市の「チーム習志野」に着目。各校吹奏楽部顧問の先生方(当時)に集まっていただき伺った、4校同時全国大会金賞という史上初の快挙を成し遂げた秘訣を、2回にわたってお届けします。

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2017年全日本マーチングコンテスト金賞のトロフィーを手に、左から今井麻美先生、石津谷治法先生、竹澤優次先生、後平剛先生。

 

ライバルながらチームを組み、レベルを引き上げた  

──マーチングコンテストでの全国大会4校同時進出・金賞受賞、おめでとうございます!石津谷先生は「未来永劫どの自治体も破ることができないであろう、不滅の金字塔を打ち立てた」とおっしゃっていました。 

石津谷先生(以下、石津谷) どんな部活の大会も同じだと思いますが、そもそも全国大会に出場するということ自体、非常にハードルが高く、そう簡単にできることじゃないですからね。

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習志野市立習志野高等学校吹奏楽部 顧問 石津谷 治法 (いしづやはるのり)

1958年京都市生まれ。中学校で吹奏楽に出会い、法政大学第二高等学校で没頭する。法政大学では交響楽団に所属し、聴くだけだった管弦楽の名曲を自ら演奏することで、よりクラシック音楽の素晴らしさと奥深さを知るが、この頃、楽器演奏能力に限界を感じ、指導者になるべく就職先は迷わず教員で決定。小中学校で楽器指導にまい進し、元NHK交響楽団クラリネット奏者の故・内山洋先生に、指導者としての在り方を徹底的に叩き込まれる。その甲斐あってか、毎日多くの子ども達と楽しく音楽に親しんでいる。モットーは“笑いと発想のない部活動に未来はな~い!”で、笑いの絶えないユニークな部活動をめざし、奮闘中!

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──マーチングコンテストでは、これまで習志野高校(以下、習高)は15回、第二中学校(以下、二中)と大久保小学校(以下、大久保小)は7回、全国大会に進んでいます。第四中学校(以下、四中)は、今回悲願の全国大会初進出でした。 

竹澤先生(以下、竹澤) はい。今回、小・中・高、4校で全国大会に進めたのは、習高が長い年月をかけ、地域の縦と横のパイプをつくってきた成果の表れとも言えます。習志野市では、小学6年生を対象とした管楽器講座を毎月開催しているのですが、講師として指導しているのは、習高吹奏楽部の3年生なんです。また、習高吹奏楽部は、定期的に市内の小・中学校にも赴いて、合同練習として指導をしています。この縦のパイプに加えて、横の連携として中学校同士や小・中での合同練習も行なっているんです。ライバルでありながら一緒に取り組み、全体のレベルを引き上げたことで、4校揃って全国大会に進めたのだと思います。 

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習志野市立第四中学校吹奏楽部 顧問 竹澤 優次(たけざわゆうじ)

1984年東京都生まれ。日本橋中学校でマーチングに出会い、その後、顧問の勧めで習志野高校を見学、その活動に感銘を受けて同校を受験、入学。同年度に着任した石津谷先生の3年間の指導で教員の魅力に触れ、教師をめざす。文教大学入学後も吹奏楽部に所属、部長を務める。平成20年に千葉県習志野市に正規採用。第二中学校に6年間、その後第四中学校に転任し現在5年目を迎える。お世話になった習志野市に恩返ししようと、生徒とともに「聴く人が感動する、愛のある音楽を」をめざし、日々精進中。

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石津谷 もちろん、合同で練習をしている自治体は他にもあるでしょう。習志野市の場合は、自治体が小規模なことが功を奏して、市立高校と市内の小・中での連携が、より頻繁に、そしてより親密にできるのかもしれません。 

──「小学校管楽器講座」はどんな経緯で始められたのですか? 

石津谷 学校五日制の完全実施で、土曜日が休日になったことがきっかけです。当時の習高吹奏楽部顧問を務めていらした新妻寛先生(現・千葉県吹奏楽連盟副会長)が、習志野市の特色を活かした子どもたちの居場所づくりを立ち上げようと、教育委員会や小・中校長会と協力して、平成14年度からスタートしました。

──高校生が小学生に教えるという試みは、確かに画期的ですが、そう簡単には実現できませんよね。関係各所の調整だけでも大変そうです。

石津谷 最初はさすがに、毎月続けられるか不安でした。でも、私たちには、小学生たちに音楽の基礎をしっかりと教え、音楽への興味を育くみ、広めて「音楽のまち習志野」の原動力にしようという、明確な目標がありましたので、続けてこられたのだと思います。しかも、習高生にとってもプラスになったことがありました。

 

教える立場になり、生徒の主体性が出てきた  

石津谷 管楽器講座では、基本的に我々顧問は口出ししません。レッスン中は、ドア越しに覗く程度にとどめています。すると、普段あまり積極的に発言せず、口数も決して多くない部員も、意欲的に小学生に丁寧に説明している姿が見られるのです。教える立場になると、自分の技を磨いたり、教えるための勉強も必要になってきますから、いい意味で、生徒の主体性が出てきたと思います。 

──素晴らしいですね。受講生にはどんな変化がありましたか?

石津谷 講座を毎年続けるうちに、中学、高校でも吹奏楽を続ける受講生が増えてきましたし、その中で習高への進学、入部希望者も増えたことに伴い、市の音楽レベルも向上していきました。本音を言えば大変なことも多いのですが、その苦労を上回るほどの成果が出ている実感があります。ちなみに竹澤先生は、管楽器講座の講師第一期生でした。当時を振り返ると、どうだった? 

竹澤 高校の後輩と小学生とでは、同じことを教えるにしても、やっぱり教え方が異なりましたね。わかりやすい説明を心がけて言葉の使い方を工夫したり、演奏で手本を示したりしていました。でも、そのためには、練習メニューを考えたり、手本になるような演奏の技術を磨く必要も出てきます。限られた時間で準備するために、学校での練習の仕方も、自然と工夫するようになりました。

それに、石津谷先生に出会って、小学校管楽器講座で指導する経験を積んだおかげで、人に教えること、そして自分が教えたことが返ってくる喜びを知って、教員をめざすようになりました。実は、それまで教員になりたいと思ったことはなかったので、もし習高で吹奏楽部に入らなかったら、教員にはならなかったかもしれません。 

石津谷 幼稚園や保育園、小学校の先生をめざす生徒も多いんです。管楽器講座の影響は大きいですね。  

──普通はなかなかできない経験です。今井先生も管楽器講座経験者ですか? 

今井先生(以下、今井) はい、教える側は経験しました。教わる側も経験できれば、さらによかったなと思います。目の前に明確な目標になる先輩方がいるのは、すごく幸せなことだと思うんです。今の時代、テレビや動画でもレッスンやお手本は見られますが、先輩から直接教えてもらえるのは、やはり大きな刺激になりますから。

 

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習志野市立大久保小学校吹奏楽部 顧問(当時) 今井 麻美(いまいあさみ)

1990年船橋市生まれ。小学校で吹奏楽部に入部し、船橋市立法田中学校でマーチングに出会う。その後、習志野市立習志野高等学校に進学し、たくさんの刺激を受けながら吹奏楽とマーチングに明け暮れる。楽器はトロンボーンを担当。高校卒業後は、マーチング講師の資格取得のために尚美ミュージックカレッジ専門学校に進学し、マーチング講習会の講師や小中高等学校のマーチング指導を行う。それを機に教師の道を志し、尚美学園大学に進学。教員免許を取得し、教師となる。大学時代は門脇賀智志氏(新日本フィルハーモニー楽団トロンボーン奏者)に師事。「粒々辛苦」の言葉を大切にし、聴いている方に楽しんでもらえたり、感動してもらえる音楽をめざして、日々子どもたちと活動している。

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石津谷 音も生で聴かないとね。百聞は一見にしかず、ですよ。月1回ではあるけれど、与えられた課題を1カ月後にクリアするという形で1年間取り組み、最後に集大成として、市の文化ホールで催される「ならしの学校音楽祭」で、成果を発表できるのもありがたいんです。年々、音楽祭での演奏レベルも上がっていることを実感しています。

 

ライバルに手の内を見せ、全体のレベルを引き上げる

後平先生(以下、後平) 習高側からすれば、自分たちの練習時間を犠牲にしているわけです。それでも、みんなで一緒に何かを作りあげようとしてくれる。その気持ちを育てているのは、習志野の伝統や、スタッフの先生方の力だと思います。だから、こうして4校が集まって話をすることも違和感がないんですよね。 

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習志野市立第二中学校吹奏楽部 顧問 後平 剛(ごひらつよし)

1986年北海道函館市生まれ。理科教師。小学校までは野球やソフトボールに明け暮れる少年だったが、中学校の部活動紹介で笑顔が素敵な顧問の先生に憧れて吹奏楽部入部を決意。中学校3年生の時に初めて北海道大会に出場し、会場のkitaraコンサートホールの素晴らしい響きに感動して吹奏楽を続けていこうと心に決めて現在に至る。夢は、いつかkitaraコンサートホールで指揮すること。初めて心に残ったクラシックの曲は、Z.コダーイが作曲した“ウィーンの音楽時計”という、ちょっとマニアックなタイプ。こだわりの強いクセのある生き方をしてきた変わり種だと自分で思うし、いつも妻にもそう言われて笑われている。


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今井 教員同士、メールや電話でお互い連絡を取り合ってますしね。

石津谷 同じ市内に同レベルの実力校があれば、普通ならライバルだから、手の内を見せないでしょ。交流した相手に負けたら嫌だな、という気持ちが先に立つけど、我々は最初から、習高を中心にしてお互い高めあって、手の内明かしあっちゃう(一同笑)。4校みんなで全国大会狙おうよ、どこの学校が欠けてもダメなんだよ、と。その熱意で4校すべてが「チーム習志野」であるという強いきずなを意識することで、結束を固め、お互いの学校を行き来しながら、合同練習で力を磨きあってきました。 

後平 そうやって、全体が盛り上がるという空気ができあがっていますよね。 

──その空気を作るのが、たぶん普通はすごく難しいんだと思います。

石津谷 そうです。本当は難しいですよ。実は、「一緒にやりませんか」と声を掛けても、断られることもあります。だからこうして、一緒に勉強しあう仲間がいて、うまく機能するのは、とても貴重なことなんです。  

──ちなみにみなさん、習高出身なのでしょうか。

 後平 僕は函館出身です。吹奏楽は長年続けてきましたが、マー チングは経験がなく、パレードの延長線くらいの認識でしたので、教員になってマーチングの指導をすることになった当初は、混乱することもありました。でも、前任校の四中赴任3年目に、県大会では金賞を受賞したものの次の東関東大会に進めなかった悔しさで、次年度の大会に向けての課題を本気で考え出したら、マーチングでやりたいことが見えてきました。次の転任先は、マーチング全国大会常連校の二中でしたので、赴任当初はそのハイレベルさに圧倒され、ただ後ろをついて歩くだけだったのですが、翌年には、選曲も自分のわがままを言い通しました。 

竹澤 僕は東京都出身です。日本橋中学校時代に部活でマーチングを経験し、高校でも続けたいと顧問の先生に相談したところ、マーチングも含めた吹奏楽が盛んな習高を勧められ、受験しました。ちょうど石津谷先生が習高に赴任された年に入学しまして、そのときからのご縁なんです。 

石津谷 教え子が教員として戻ってきてくれる。こんなに嬉しいことはないですね。 

竹澤 そして高2でドラムメジャー(マーチングバンドの指揮者)を担当したのですが、ちょうどその年に、二中がマーチングの県大会に初出場することになったんです。すると、石津谷先生から僕に、二中のマーチングのコンテ(動き方の手引き)を書くように、と指令がありまして。 

──中学生のマーチングは、高校生がコンテを作るんですか? 

竹澤 いや、普通は作らないんですけど(笑)。とにかく初出場だというので、二中に指導に行くついでに、コンテを書きました。その時はまさか、自分が教員になって習志野市に戻ってきて、しかもまた二中で指導することになるとは思ってもいなかったので、不思議な縁だなあと。 

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──さきほども「吹奏楽部に入るまで、教員になりたいと思ったことはなかった」とおっしゃいました。

竹澤 はい。でも、吹奏楽部の先生方の姿を見て、やりがいのある仕事だと思いましたし、音楽を専門にしなくても指導できるとわかったことも大きく影響しました。石津谷先生は社会がご専門で、僕も国語が専門なので。 

 

自分の部活を持ちたくて 

今井 私は習志野市の隣り、船橋市の出身です。小4で吹奏楽部に入部したその年に、習高の演奏会を聴いて感銘を受けまして、その場で母に習高に進学したいと宣言したんです。そして中学校でマーチングを経験し、ドラムメジャーを担当した3年生の時に初めて、全国大会に進出して金賞をいただきました。

そして初志貫徹で習高へ進学したのですが、3年連続で同じ中学出身の先輩達がドラムメジャーで活躍する姿に憧れて、私も、習高でもドラムメジャーをやりたいと決意したんです。念願かなって、高3でドラムメジャーをやらせて頂きました。

卒業後は、マーチング講師の資格取得をめざして専門学校に進んだのですが、二中、大久保小に指導の手伝いに通い、石津谷先生たちが指導する姿を見ているうちに、自分の部活を持ちたくなりまして・・・。思い切って大学に編入して、教員免許を取得しました。  

──やはり皆さん、教員になって吹奏楽部の顧問をやりたいという志を持って、教員になられたんですね。でも教員の場合、お仕事の大半は授業が占めますよね。そして生活指導や補習、学校行事があり、さらに部活動もとなると、本当にやることがたくさんあって大変だと思うんです。その中で、どうやってバランスを取るのでしょうか。特に、現場で教えるということは、授業にしろ、部活にしろ、子どもたちと向き合うことですから、エネルギーがいりますよね。 

竹澤 僕は、クラスの子たちも行事を盛り上げるのも大好きです。でも、とりわけ部活は、音楽と楽器が好きな生徒たちが、同じ目的を持って集まっている場所。生徒の頑張りがなければ指導も成り立たないので、生徒からエネルギーをもらうことが、逆に僕の原動力になっていますね。

実はこれまで、結果を求めて自分が気張りすぎると、結果が伴わないことが多かったのです。ですので今回、自分におごることなく、生徒たちの頑張りで全国大会に連れてきてもらえて、しかも金賞をいただくという結果を残せて、本当によかったと思います。 

後平 指導する分野ごとに、追求することは違うのかもしれません。私は、担当教科の理科では、理科の学びで新しい発見をさせてあげたいし、生活指導や学級指導では、集団の中で生きていく術、例えばルールを守ることの大切さも教えています。

部活動では、吹奏楽を通じて「今日より明日の自分がいかに人間的に成長できるか」をテーマに指導をしようと心がけています。また、平日は会議などで僕が不在のことが多いので、生徒が自分たちでメニューを組み立てて練習できるよう、自分たちの力で考えられるように指導しています。彼らも自主的に報告や質問に来てくれますし、週末にまとめて練習の成果を確認して、次の課題の解決方法を一緒に考えていくことが多いですね。

──先生がほかのお仕事で忙しい分、工夫されているということですね。 

後平 生徒たちも、自分たちでやりたいことや足りないことをやっていく、という自覚をしっかり持っています。それに、マーチングの経験がなかった私に、彼らが教えてくれることもたくさんありますから。

 

部活指導に熱心な先生は、授業も生活指導もできる

今井 私はこの1年、大久保小の子たちの「全国大会で金賞を獲りたい」という目標や夢を、叶えてあげたい一心で過ごしました。私自身、マーチングや吹奏楽を通じて、さまざまなことを経験したので、目標を達成した時の喜びや感動を、子どもたちにも味わわせてあげたかったんです。それに、全国大会金賞の結果はもちろん、その結果にたどり着くために、自分たちが納得できる演奏をし、目標を達成することで、人としても成長できると思いましたし。 

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石津谷 教師は、まずは授業がちゃんとできなくてはいけません。部活指導に熱心な先生の多くは、教科の指導も、生徒指導や生活指導もしっかりできる人たちだと思っています。私は、部活動に情熱を注ぐ子どもたちがいる限り、部活の指導をするのも教師の仕事だと思います。苦痛になったことはありません。むしろ、彼らに感謝しています。 

──どんな感謝でしょうか?

石津谷 ステージの上で指揮を振らせてもらい、子どもたちと一緒に、大好きな音楽を奏でられることです。結果としての金賞はもちろんありがたいけど、それより何より、1年間子どもたちと一緒に、大好きな音楽に向き合い、共に笑い、共に泣くことができる。そんな瞬間や感動を味わえるなら、どんな苦労も厭いませんよ。ですから、指導するときに常に頭にあるのは、子どもたちに感謝することなんです。

コンクールでも常々、「勝ったら子どもたちのおかげ。負けたら顧問のせい」と考えています。よい結果が出たら、それは子どもたちがよく頑張ったから。よい演奏にならなかったとしたら、それは顧問が勉強不足だったり、練習に対してどこかで燃えきれなかった、ということです。

私は、世の中にはその自覚がない指導者が少なからずいるのではないか、と危惧しています。講習会などで全国を回ると、残念なことに、そういう話をよく聞くのです。信じられないことに、銀賞や銅賞、金賞でさえも代表になれなければ「お前たちがミスをしたからだ」と生徒たちに怒っている顧問を見たことがあります。でも「そこまで生徒たちを追い込んだのはあなたでしょう」と言いたいですね。 

後編>に続きます。

撮影協力:根本麻由美

投稿者:michelle

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